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全168件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

「ツ」の発音

 投稿者:ZEN@北海道  投稿日:2009年 7月 3日(金)07時39分17秒
  英語ではtuの発音はおおよそ「タ」「トゥ」「チュ」のような発音ですし、treeなどは子音tのあとに母音がなくrの発音が続きますし・・・
キャッツとか語尾に「ツ」が付く発音はありますが、英語で語頭、語中に「ツ」の付く単語はほとんどありませんね
母語に有意な区別のない発音はよほど意識しないと難しいです

日本人にとっては母語に有意な差のないLとRの発音(どちらも日本語的には「ラ」としか認識されな)の区別は難しい

韓国語には日本語にない難しい発音の区別がある一方、濁音の区別がなかったり、「ツ」「ザ」「ズ」「ゼ」などの発音がありません(ハングル表記でも区別できない)
なので、どうしても近似の発音である「チュ」や「ジャ」「ジュ」「ジェ」になってしまう傾向がありますね

http://homepage3.nifty.com/zen1999/index.htm

 

帰納法と演繹法 Sabaさん、Zenさんへ。

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 7月 2日(木)18時36分10秒
   昨日、英語をもう一度やり直したいという姪に外国語の勉強法を話した際、「帰納法的な学習」と「演繹法的な学習」という観点を用いてみました。

 デカルトは演繹法で、ベーコンは帰納法を使って論理を進めたのは有名ですが、私は母国語学習は帰納法的で、外国語学習は演繹法的であると思います。つまり、母国語は長い学習時間をかけられることを武器に、実際に起こることの記憶をどんどん積み上げて巨大な母国語脳を作ってゆく。これに対し、外国語はもう事実と確定されたものを短期間に学び、それらの相互の組み合わせで、論理を構築し、極めて小規模だが「性能の良い」外国語脳を作っていく、、、。 そんな話をしました。

 Sobaさんのおっしゃる通り母国語だからかえって教えるのが難しいということは起こると思います。「(外国人に母国語を)教えようとして難しいのは、意識的に学んだものではなくて、無意識のうちに身につけてしまったものではないか?(Sobaさん)」そして、「無意識に身につけただけに、その膨大な知識を自覚的に取り出そうとすると大変な困難を伴います(Sobaさん)」私も本当にそう感じます。

 また、ZENさんの指摘にあるように「自分の話している言語をわかりやすい理屈できちんと論理的に説明できる(ZENさん)」ことが重要ですね。無意識の世界のものを意識世界へと転化させる(私はこれを「再発見」と呼んでいます)、それをわかりやすく説明する、それが重要ですね。それはでも、とても難しいことでもあります。

 でも、この困難さがとても私には新鮮で楽しく感じます。チャレンジングなのです。そんなわけで、またにほんごヘルプを再開しました。学習者の母語の違いによる音声や文法理解への困難さも逆に面白いです。韓国人は「つ」音がなかなか出せません。煙突が「エントチュ」になってしまいます。ゲルマン系米国人もやはり日本語の「つ」と「す」と区別するのが難しいようでした。いま、教えているロシア青年はどんな困難がやってくるのか、楽しみです。 tommy
 

ネイティブスピーカー

 投稿者:ZEN@北海道  投稿日:2009年 7月 2日(木)13時07分33秒
  語学教室でのネイティブの存在はモデルリーディングとか、その言語を話す国民と親しむという意味はあるのでしょうけど
ネイティブは無意識自然に話すことができますが、外国人にその自分の話している言語をわかりやすい理屈できちんと論理的に説明できるかと言うと必ずしもそうとは限りません
そういう意味ではネイティブが必ずしもよい語学教師になれるとは限りませんね

http://homepage3.nifty.com/zen1999/index.htm

 

「匹」について他

 投稿者:soba95  投稿日:2009年 7月 2日(木)01時39分51秒
  「匹」の発音について追加させていただきます。このような現象を国文法では音便というのではないかと思います。音便というと動詞の活用語尾のものが浮かびますが(「書きて」→「書いて」、「待ちて」→「待って」、「飛びて」→「飛んで」など)、動詞の活用ではなくても、語結合に際して発音の便宜から音が変わるのを音便と言ってもよいような気がします。音便を広くとるなら、「数詞+助数詞」は音便が起きやすいところと言えましょう。
「匹」と同じパターンを取るものに「本(いっぽん、にほん、さんぼん)」「杯(いっぱい、にはい、さんばい)」などがあります。少し違うのが例えば「冊(いっさつ、にさつ、さんさつ)」です。音便を起こさないものに「枚(いちまい、にまい、さんまい)」「年(いちねん、にねん、さんねん)」などがあります。どの音が来たらどうなるとは把握できていませんが、数詞の最後の音節と助数詞の最初の音節の組合せが発音しにくいと起こるということでしょうか。
話は変わりますが、tommyさんが日本語について感想を書かれていますが、少し違う感想をもっていますので、書いておきます。教えようとして難しいのは、意識的に学んだものではなくて、無意識のうちに身につけてしまったものではないか、と考えています。もちろん、運用力という点では日本語については大変な能力をもっているわけで、その限りでは非常な強みをもっているわけですが、無意識に身につけただけに、その膨大な知識を自覚的に取り出そうとすると大変な困難を伴います。それに比べると外国語は、運用力は悲しいほどですが、その知識は意識的に身につけただけに、少ないけれども簡単に取り出すことができます。それで母語は教えにくい、という印象がぬぐえません。確かに、母語の無意識レベルに眠っている膨大な知識の一部でも自覚的に取り出せたら楽しいでしょうが、これがなかなか難しい。そういう意味で、英会話学校などネイティブスピーカーだからという理由だけでありがたがっているようで、どうなんだろうという気がします。
 

ZENさんへのなぞなぞ:子猫のホームステイ

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 6月30日(火)20時53分0秒
  10匹の子猫がホームステイすることになりました。1匹目はAさんの家に、2匹目はBさんの家、3匹目はCさんの家に泊まりました。4匹目はBさん、5匹目もBさん、6匹目はAさん、7匹目はBさん、8匹目はAさん、9匹目はBさん、では10匹目の子猫はは誰のところに泊まりますか?

--- 答えはAさんの家です。Aさんの家の看板は「Piki-House」Bさんのは「Hiki-House」Cさんのは「Biki-House」と書いてあります。 (すみません、つまらないなぞなぞを作ってみました。)

 匹(ヒキ)の読み方に、ピキ、ヒキ、ビキの三通りありますが、それはその前の音を引き継ぐ際、発音が楽になるものを選びます。一匹は「いちひき」ではなく「イッピキ」の方が読みやすいですね。 二匹は「ニヒキ」と本来の音で発音します(江戸時代以前には、上下の唇を重ねるフィの音が残っていたので、ニフィキと言っていたと思いますが)。三匹は(サンビキ)が言い易いですね。どうもNやM音の後では日本語は濁音を好むようです。「飲む」の過去形は「飲んた」ではなく「飲んだ」になりますね。 tommy
 

ある外国人の素朴な疑問

 投稿者:ZEN@北海道  投稿日:2009年 6月29日(月)19時36分17秒
  動物を数える助数詞の「匹」ですが
いっぴき、にひき、さんびき、よんひき、ごひき、ろっぴき・・・・
どういう理屈で「っぴき」になったり「ひき」や「びき」になるのか?
と聞かれたことがあります

http://homepage3.nifty.com/zen1999/index.htm

 

「に」と「やりもらい」表現

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 6月29日(月)00時06分19秒
  Sobaさん、早速のレス有難うございます。

英語や韓国語という外国語を教えるのと違って、私の母国語である「日本語を教える」という作業はかなり自信をもって発言できる楽しみがあります。それは私の中にもう存在している知識(内在的・潜在的な知識)を整然と整理し、外国人にわかるよう発信してゆく作業で、自分自身への再発見の旅でもあり、楽しみです。

この「やりもらい」表現は15年ほど前にもやはり、この「にほんごの会」で韓国人の学習者から尋ねられたのですが、彼女は理解するまでかなり時間が掛ったと記憶しています。韓国語では英語のgiveに相当する「チュダ」しかないので、「あげる(やる)」と「くれる」の区別が難しいようでした。「もらう」はreceiveに相当する「パッタ」があるので理解してもらえたと思います。今回はロシア人なのですが、やはり難しいようです。

 今回私もSobaさんと同様、
 「お土産に絵葉書をもらう」の「〜に」は「〜として」
 「お祖母さんに小遣いをもらう」の「〜に」は「〜から」
と説明しました。 Sobaさんの印象である<「〜の地点で」「〜のポジションで」「〜という資格で」>は「〜に」の統一的な説明として説得力があると思います。さらに考察を深めてください。 地点を表す「に」は英語の「to」にも「from」にも相当しますね。

昔、ある女性が父親から「ふん、お前には借金をくれてやらぁー」と言われて、ひどく傷ついていたのを思い出しました。これは外国人が聞いたら、結構難しい表現でしょうね。 tommy
 

「に」について、「やりもらい」表現について

 投稿者:soba95  投稿日:2009年 6月28日(日)22時45分9秒
  「土産に酒をもらう」の「土産に」は「〜として」のような意味合いで、「もらう」との結びつきはそれほど強くないでしょう。「太郎に酒をもらう」の「太郎に」は、酒のやりとりをする際の酒の授与者を表していて、「もらう」動作の必須の参加者ですから、動詞型として、「AにBをもらう」という形で憶えるべきものです。英語でも、look at A の場合は、Aに何が来ても「look at」で1つの他動詞のようにまとまっていて、1つの熟語として憶えるし、at one o'clock の場合は、動詞に何が来るかは関係なくて、「at+時刻」という形で憶えます(ただし、at one o'clock に比べると、「土産にもらう」は動詞の制約が強く、「動詞と関係なく」とは言い切れない所もあり/類例「えさにミミズを使う」など)。英語では、例えば、前置詞inには多くの意味用法があるが、最近では、根本義(「ある領域内にある」)の発展拡張によって統一的にイメージできるようにしよう、という傾向があるので、同じように考えれば、この「〜に」も、何か統一的に説明できればいいのですが、それはまたいずれ(「〜の地点で」「〜のポジションで」「〜という資格で」などの感じが共通するような気がしますが)。
もうひとつは、いわゆる「やりもらい」表現の問題です。これは、英語のgive/receiveと比べると少しやっかいです。「私は太郎に本をあげた」の「太郎に」は受領者を示すが、「私は花子に本をもらった」の「花子に」は授与者を示します。前者は英語のSVOO型と類推が可能で、わかりやすいですが、後者は一見英語のSVOO型のようですが、英語ではこの意味はSVOO型では表さないでしょう。一見同じ型で一見同じ位置にある人が「授与者」と「受領者」に分かれるところが要注意です。
次に、「花子が私(私の息子)に本をくれた」は「あげる」と似ていますが(授与者が受領者にモノを〜する)、受領者が「話し手(または話し手が自分の領域内にいると感じている者)」でなければならない(そして授与者は領域外にいる)という点が要注意です。
「花子が太郎に本をくれた」は、「私」が「太郎」の利益を自分の利益のように感じているということでなければ、×です。当然「私は太郎に本をくれた」は×。ところで、これと裏腹の関係にある「太郎は私に本をあげた」も×です。「話し手の利害」が色々関係するようです。
この「やりもらい」は「モノ」のやりとりだけでなく、動作のやりとりにまで拡張されていくので(「作ってもらう」「作ってあげる」「作ってくれる」)、重要表現です。恐らく韓国語にも、こういう一筋縄ではいかない「やりもらい」表現があるのではと推測しますが、いかがでしょう。
 

日本語教室

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 6月28日(日)19時35分10秒
  毎週日曜日、八王子市内に住む外国人のための日本語教室ボランティアを再開しました。今回はロシアの青年を担当していますが、彼の今日の質問の一部を紹介します。皆さんだったら、どう説明しますか?

1)「お土産に絵葉書をもらう。」の「に」の意味と用法。
2)「お祖母さんにお小遣いをもらう」の「に」の意味と用法。

次の「くれる」「もらう」「あげる」の使い分け。
1)お祖父さんは私に小遣いをくれた。
2)私はお祖父さんに小遣いをもらった。
3)お祖父さんはその子に小遣いをあげた。       以上です。tommy
 

米国型資本主義の終焉と新たな政治経済モデル

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 6月14日(日)02時05分27秒
   6月1日、古き良き米国資本主義の象徴であったゼネラルモータースGMが倒産した。これでアメリカは金融経済の崩壊に続き、米国の実体経済でも崩壊の一路をたどることになるのだろうか。ミルトン・フリードマンが推進した「新自由主義」は結局カジノ資本主義、マネー資本主義といわれるように、実業を軽んじ、まるで中世の貴族のように額に汗して働くことを蔑みながら、自らの貪欲な下品さと醜さに気付かなかった。そして、その報いが押し寄せてた。それを嗅ぎつけたのだろうか、米国民は昨年、オバマ大統領を選択し、再生可能なグリーンエネルギーの供給と需要を拡大させ、アメリカ経済の再生を目指した。だが、あまりの負の財産の大きさゆえに暗中模索、マヒ状態になっている。

 一方、欧州各国は社会主義と資本主義の間の葛藤を第2次大戦後、ずっと経験してきた。右派民族政党から左派共産党までが与党の経験をしてきている。いわゆる政治的ノウハウを国家として貯めてきた。アメリカや日本にない経験やノウハウだ。それはEU(European Union)という地域国家連合体に結実し、共通貨幣Euroの誕生まで行き着いている。今回のアメリカ発世界経済危機にも欧州の新体制は比較的堅牢さを保った。<東アジアでも、私は中国、台湾、韓国、日本、アセアン各国の間で、AU(Asian Union)連合体を築き、共通貨幣(仮にAsiaと名づける)の誕生する日を夢見ている。>

 いま、世界は新たな政治経済モデルを模索している。資本主義、社会主義、欧州型社民主義、スカンジナビア型福祉国家主義、イスラムの教義、儒教や仏教の知恵、アフリカの思想、アジアの思想。いろいろある。あらゆるものから良い点を引き出して、活力があり、平和で幸福のもたらされる国際社会が誕生することを私は祈る。tommy
 

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