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英語の生涯学習と「自己植民地化」

 投稿者:soba95  投稿日:2009年10月12日(月)10時46分52秒
  私は十数年前から成人向けの英語の講座で教える機会があります。生徒さんは概ね熱心で、夕食後あるいは夏の暑い午後ゆっくりTVでも見ていたいような時間にわざわざ出かけて勉強しようという意欲に溢れた方々ばかりです。そんな意欲的な生徒さんですが、教え始めた頃、私は何か違和感のようなものを感じました。私の講座にくる生徒さんの多くは、be動詞と一般動詞の区別もきちんとつきません。それで、「これは基本で、これができないと後が伸びないですよ」と言って、基本が身につくようなトレーニングを取り入れ家庭でも練習してもらうような授業をします。けれども、熱心に通って熱心に授業は受けても、この基本が少しは身についたという生徒さんは(通年講座でも)滅多にいないのです。この生徒さんたちに「英語ができるようになりたいですか」と聞けば「はい」と答えるでしょう。1人や2人ではなく多くの生徒さんがそんな状態に安住しているのは何故なのでしょうか。
「英語の勉強をしている」状態が好きなのか。英語を使って何か価値があることをしたいというわけではなく、英語を習っていること自体が価値なのか(お茶やお華ならそれもありでしょうが)。英語を使って何かを生み出すのではなく、「英語講座というサービス」を享受する「消費者」だからか。ふと「植民地」という言葉が浮かびました。宗主国の言語だから、なんとなく関わっているだけでもありがたいのかな、と。でも本当の植民地なら、宗主国の言語の習得にはもっと切迫感があるはずです。そんなとき慶大の鈴木孝夫教授の「自己植民地化」という言葉に出会いました。
鈴木教授は「日本人は、自分が選んだ文化宗主国をモデルとして、自分たちの国を改革し、自分自身を相手のもつ高い水準に合致するよう改造する努力を、遣唐使の昔から最近まで一貫して行ってきた民族なのです。私はこの、外国に征服支配強制された結果として外国文化を受け入れるのではなく、自発的に自分を外国のように作り変える現象を、自己植民地化(auto-colonization)と名づけました。現実には植民地にならないのに、心情的には相手との一体化を望んで、相手国の文化植民地となってしまうのです」(「日本人はなぜ英語ができないか」より)と言っています。なるほど、と思いました。「ちょっと触れるだけでも価値がある。でも必死で身につけなければならないほどの必要性はない」という状況は、文化宗主国+自己植民地化ということで説明できるなあ、と納得したものです(ただし鈴木教授が想定しているのは、政財官・科学技術・学問芸術等のエリート層で、生涯学習を享受する生徒さんに敷衍したのはこちらの勝手です)。
最近は、欧米から学ぼうという風潮も薄れ、自己植民地化も以前ほどではなくなっているかもしれませんが、私の所へくる生徒さんの多くは相変わらず中学の基本もできていません。
 

火起こし (普通の庭石で)

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 9月23日(水)21時35分10秒
  今日は、自宅の庭の石を使って火起こしに成功しました。庭にある10センチくらいの石を拾ってきて、それを錆びついた古い鎌で叩いてみると、結構火花が散るので、一昨日作った自家製のぼろ布を燃やして作った火口(ほくち)を今日も再び作り、再度実験してみました。
 庭石の角ばったところの下に、ぼろ布を燃やして作ったの火口(ほくち)を置き、鎌の背をカーンと叩きつけ、火花を火口に落としました。赤い火種ができるや、見る見るうちに火種は大きくなり、さらにフウっと息を吹きかけると、何と!炎を上げて燃えだしたのです。
 これはTシャツのぼろ布を燃やすとき、まだ完全に燃えきっていないのに、面倒なので途中で密閉消火(消し炭にする)して、火口を作ってしまったのが、逆に功を奏したようです。未燃焼部分が燃えだしたのでわざわざ硫黄を塗った付け木を使う必要がありませんでした。
 この実験の意味するところは、特になにも特別なものがなくても「火は簡単に起こせる」ということです。みなさんも是非試してみてください。tommy
 

Tシャツ片で手作りの火起こし制作

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 9月21日(月)20時49分43秒
   この1週間「火起こし」の研究をしてきました。いろいろ失敗しましたが、今日は嬉しい成功を収めました。最初は、杉板にv字型の刻みを付け、竹を錐揉みして頑張ったのですが、煙ひとつ出ませんで、挫折。次は、ペットボトルを使って水レンズを作ろうとしましたが、屈折率にまったく整合性がなく、焦点がぼけてやはり煙ひとつ上がらず、挫折。それで、今日は江戸時代の庶民にまで普及をした火打石方式をやってみました。購入したセットで、一発で成功したのはもちろん、さらに火口(ほくち=火花を受けて赤い種火を醸成する植物繊維の炭化されたもの)を自作することにも、成功しました。
 ボロ布となったいた元Tシャツを切り取って、4重の小片にしてざっと全体が黒くなるように焼いた後、ビンの中に入れ、蓋をして空気を絶ちます。炭化したこのTシャツ片は、火口(ほくち)としてぴったりでした。今日の実験では、なんと十数秒のうちに立派な炎をろうそくに移すことができました。江戸時代でも、庶民たちは1分もかからず火を起こしていたのですね。新しい驚きです。 tommy
 

タジマ氏、オレガンマニエヨ!

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 9月18日(金)22時37分35秒
   田島さん、お久ぶりです。日本語表記が出ないようで、心配ですね。でも、あちこちいじくっているとそのうち表示できるようになると思います。私も何回もそのようなことがありました。
 高句麗の数詞のことですが、私ははっきり分かりませんが、何かの本で、高句麗の数詞が日本語の固有数詞(ヒー、フー、ミー、、、)と関係があるのではないか、と書いてあったのを覚えていますが、もう何の本だったか忘れてしまいました。
 ところで日本の固有数詞は倍数法則みたいなものがあって面白いです。 1(fi)→ 2(fu), 3(mi)→6(mu) , 4(yo)→8(ya)  母音が変わると数が倍になります。(5と7と9の倍数は無視されていますが、、、。)1と2、3と6は母音i→uの変化、4と8は陰母音と陽母音の転換かも、なんて空想しているのですが、実際のところ分かりません。tommy
 

kou?kuri no hitotu futatu towa

 投稿者:tajima keiichi  投稿日:2009年 9月16日(水)09時11分17秒
  konnntiha. nihonngo no soft ga kinou sinakunari romaji de kaite imasu.

koukuri no kazu no kazoekata to nihongo no hitotu futatu mittu no kazoekata to nanraka no kanrenga arunodesyouka?
 

「11番バスで帰ります。」

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 9月 6日(日)22時47分5秒
   私が日本語ヘルプをしているロシアの青年と今日は「駄洒落」の話題を挟んで学習していた。帰りがけ「では先生は今日、11番バスで帰るのですね。」と言った。

 日本語の学習場になっている地元の小学校から彼は自転車で、私は徒歩で帰るのだが、私が「日本語では昔テクシーという言葉が流行ってね。それは歩いて帰ることなんだ。テクテク歩いて帰るからタクシーに引っかけてテクシーと言ったんだ。」と話したところ、彼は上のような返答をした。

 「なぜ、11番バスなんだい?」
 「ほら、歩いている二本の足の形が、数字の11に似ているでしょう。だからロシアではそう言うのですよ。」

 なるほど、面白い着眼点だ。私の足が確かに11になっているのを見ながら、私は家路についた。tommy
 

「失われた場を探して」について

 投稿者:soba95  投稿日:2009年 8月28日(金)19時03分37秒
  メアリー・ブリントン著「失われた場を探して」(NTT出版)を読んだ。バブル崩壊後の長期不況のなかで、それまであった「高校という場から会社という場への(高校の進路指導部を軸とした)スムーズな場の移行」が崩れ、多くの若者(特に非進学系普通高校)が困難に直面していることが述べられている。60年代〜80年代の日本のこの在り方がむしろ特殊であったこと、「今時の若者はちゃんと仕事もしないで」という非難は、スムーズな場の移行が崩れたいま的はずれであること、今の事態はサービス産業化などの社会の変化によるものだから景気が回復しても元の状態に戻ることは難しいこと、サービス産業化は場の移行を支えたシステムを壊しただけでなく、高校生をバイトに引き込んで、高校の場としての意義を一層薄れさせたこと、などの主張に膝を打った。著者は社会学者の分を守ってか、「とにかくどこかの場に帰属することが第一で能力はそれから」という伝統的な日本型社会が崩れて「職能を身につけそれに応じた地位に」という米国型社会へ移行するのを自然現象自然法則であるかのごとく書いているが、80年代以降の米国(あるいは米国的価値観を身につけたエコノミストたち)による意図的な働きかけがなかったのか。あるいは、大きな趨勢としては仕方がないとしても、「場への帰属が第一」という在り方を捨て米国的な社会の在り方をどこまで受け入れるのが日本にとってよいことなのか。こんなことは、米国人の著者に聞くことではなく、日本人が考えることではあるのだが。折しも総選挙。いくら配るという話は出ても、社会の現状と将来にかんする説得力のある議論は聞こえてこない。
ところで、tommyさんの「鉄の文明」、すばらしい文章ですね。詩と科学が化学反応を起こした一瞬に現れた美しさ、とでもいいましょうか。地理歴史や科学についての素養がtommyさんの頭のなかで常人には考えられないような反応を起こしているようですね(ただし、それがこんなに美しい反応となって現れるのは、失礼ながら滅多にないことですよ)。
 

鉄の文明

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 8月27日(木)00時34分1秒
編集済
   最近のある日突然、私は鉄に興味を持った。その日以来、ずっと鉄に関する知見を集めながら、空想に浸っている。もし私が今、6世紀、7世紀の日本にタイムスリップしたとして、現代文明のいかなる道具や器具を使用せず、砂鉄と木炭から鉄を取り出したいとすれば、どうしたら良いのか?
  Fe₃O₄ + 3C ---> 3Fe  +  2CO₂
の化学反応式を実現するにはどうしたら良いのか、である。例えば、出雲の古人が始めた「たたら製鉄」の方法を、私の庭で簡単に再現できる方法はあるのだろうか?

 鉄の製法は私にロマンを抱かせる。地球には鉄が無尽蔵にある。2価および3価の酸化鉄として自然界には存在するが、木炭などの炭素で還元すれば、単体のきらきら光る金属の鉄が得られる。それがもたらす応用範囲は人類にとって驚異的なものだ。

 文明は人類が鉄を支配してから進んだと言っていいだろう。青銅器時代は鉄器時代の幕開けであり鉄器時代の一部として見なせるならば、それ以前の時代は石器時代であり、それは何万年も、何十万年も続いた。このわずか、千年、数千年の鉄器時代が人類の歴史と文明を育ててきたといっても過言ではあるまい。そして、18世紀の英国での産業革命以来、鉄の文明は、驚異的な変革を良くも悪くも人類史にもたらした。

 この鉄という物質としばらく付き合って勉強していきたい。 tommy
 

「小さいプレゼント」

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 8月 3日(月)11時40分8秒
  日本語ヘルプをしているロシアの青年が昨日、私の自宅を訪ねてきた。ショコラ菓子を差し出し、「小さいプレゼントです」と言った。 日本人だったら恐らく「つまらないものですが、、、。」というのが自然だろうが、「小さいプレゼント」は、私にはむしろ好感のもてる表現だった。だからいつもの老婆心の指導はしないでおいた。 英語なら "Here's a little present for you."となるが、ロシア語でもきっとそういう表現をするのだろう。

 「小さい、小さな」という言葉の中に、お客さんの謙遜と遠慮の気持が込められているから、ホストにはその言葉は好感をもって響く。より自然であるはずの「つまらない」という言葉は、あまりにも謙遜の度合いを高め過ぎてしまい、かえって貰う方としては、へそを曲げて「つまらないものなら要らないよ」という気持ちにもなりかねない。

 「つまらないもの」だけでなく、最近「ちょっと」とか「少し」とかいう言葉は、私にはいささか拒絶感のする言葉になった。「日本経済は未曽有の危機にあり、ちょっと大転換しなければならない。」なんて使う人もいる。「ちょっと大転換ってどのくらいの転換なの?」と突っ込みを入れたくなる。「あなた、少しいい加減にしてよ!」なんて言われることもある。

 これは、日本語に限らず韓国語でも、そんな表現がある。 「ヨギヨー!メクチュ ジョム セービョン カッタ ジュセヨ!」(すいませーん! ビール ちょっと 3本 もって来てください!) この「ジョム」は何の意味もないが、彼らは数などの前によくこのことばを入れるのだ。日本人には自然に聞こえるだろう。<ところで、韓国では人前で日本語の「チョット」という発声は厳禁です。大変な意味に取られるようです。ソウルの街角で大声で「チョットマッテ」などと叫ぼうものなら、周りの人から軽蔑の眼差しを向けられること必定> tommy
 

レンミンビとグリーンバック

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 7月28日(火)20時23分57秒
編集済
   中国の元(yuan)が世界の基軸通貨として米ドルに近い将来取って代わるのか、そんな声が現実味を帯びて聞こえてくる。 来年、中国のGDPは日本のGDPを抜いて米国に次ぎ世界第2位になり、名実ともに世界第二の経済大国になることがかなり確実になったからだ。

 今年2009年の3月、周小川・中国人民銀行総裁が「ドルに代わる新しい国際準備通貨が必要だ。新準備通貨として、国際通貨基金(IMF)[International Monetary Fund]が管理する多通貨バスケットを利用するのも一案だ」と述べ、ドルを牽制する発言をして世界を驚かせた。具体的には、「国家主権を超越した新基軸通貨を創造すべきだが、当面はIMFの特別引出権(SDR)[Special Drawing Rights ]を活用したらどうか」という提案である。

 「中国、日本、韓国、台湾、越南を中心とした東アジア諸国で、まず共通通貨を構築する」というのが私の夢だ。(それが今、現実的かどうかはわからない)ただ、ヨーロッパで行われているEuroの現実は、東アジア共通通貨が、決して「夢物語ではない」ことを裏付けているだろう。 (但し、大東亜共栄圏思想・内務省出身・風見鶏政治家・不沈空母発言の中曽根康弘氏が云う「2030年までにACU[Asia Currency Unit]を創設する」という構想は彼の性(さが)故、全く信用できない)共通貨幣の創設には傲慢さを排除し、平和と平等互恵の原則が確実に共有されていなければならない。

 私はドルが崩壊するとは思わない。 現在のような世界唯一の基軸通貨としての機能は失われると思うが、世界の主要通貨としての地位は南北アメリカ世界をバックに失われないだろう。

 アメリカではGreenback(米ドルの愛称)からRedback(人民元)への転換がささやかれているようだが、私は近い将来に人民幣(レンミンビ)が米ドルに代わるとは思わないし、代わってほしくはない。 「世界のドル」そして「世界のアメリカ」「世界の警察」としてアメリカの傲慢さの中で、私は半生を送り、それに辟易し続けてきた。 今度は、中国の傲慢さの権化である「中華思想」がそれに代わるのなら、これまた御免である。 tommy
 

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