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マロース爺さんとコウノトリ

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 5月17日(月)18時15分25秒
   今日は民族ジョークではなく、ロシア青年に教わった可愛らしいロシア人親子の会話を披露します。

 父:実はな、ミーシャ、クリスマスのプレゼントをお前にくれていたのは、マロース爺さん(サンタクロースに相当)じゃなくて、お父さんだったんだよ。

 息子:知ってたよ、父ちゃん。ついでだけど、僕を運んできたのは、コウノトリじゃなくて、父ちゃんなんだよね。

ジャンジャン! tommy
 
 

zenさんお久しぶりです

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 5月15日(土)01時42分52秒
   zenさんお久しぶりです。いかがお暮らしですか? こちらはボランティアの日本語教室だけが仕事みたいでご隠居生活も板についてきたようです。

 私も、日韓関係は、秀吉時代と日帝時代の例外を除けば、決して不幸な関係という訳ではないと思います。被害を受けた韓国の人にとってはそうは思えないのでしょうが、世界経済の中心が東アジアに移りつつあるこの時代、そして将来のためにも日韓は最も大切なパートナーとして信頼を深めていきたいものです。

 民族ジョークは危険なものにつながることも多いので、良識をもってさらりと楽しみたいですね。確かにニュージーランド人はオーストラリアに対して強い対抗意識(憎悪とも思えるもの)があることが一昨年の滞在で感じられました。ラグビーの試合では、いつでもオーストラリアの敵軍を応援するといいます。経済的にオーストラリアに富が吸い取られているという彼らの意識も、その「近親」憎悪に拍車をかけているのも知れません。 tommy
 

民族ジョーク

 投稿者:zen  投稿日:2010年 5月13日(木)08時57分10秒
  ロシアはロシア文学やクラシック音楽などでかなりの文化大国だと思うのですが・・・
それはそうとイギリスではアイルランド人をおちょくるジョークがけっこうあるようです
オーストラリアとニュージーランドも実はあまり仲がよくないというか、おれんとこはおまえらとは違うぞという意識があるみたいです
世界を見ると、トルコとギリシャ、アラブ諸国とイスラエル、インドとパキスタン、バルカン半島など、お隣同士というのは歴史的にいろいろあって、あまり仲がよくないことが多いです
隣国同士の国境紛争や激しい民族対立、宗教対立、血で血を洗うような戦争などがありました
それに比べれば日本と韓国なんて仲がよいほうかなあなんて思います
 

民族ジョーク

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 4月25日(日)22時19分10秒
   日本語教室が終了し、ロシア青年と雑談をしていて、カムチャツカ半島の話題になった。先住民のひとつであるチュクチ人は「単細胞」だとしてよく、ロシア人のジョークの対象にされるとのことだ。たとえば:

 エコノミーの料金で搭乗したチュクチ人の御一行、ビジネスクラスを見つけて占領してしまった。困ったフライトアテンダントたちの懸命の説得にも頑として応じない。やがて、機長がやってきて、何やら占領しているチュクチ人たちに耳打ちした。すると、チュクチ人たちは「そりゃ大変だ!」と叫びながら、たちまち皆、エコノミーの席に移動していった。アテンダントたちが不思議に思い機長にその理由を聞いた。機長はこう彼らに耳打ちしたのだという。「知っていますか? ビジネスクラスの方はカムチャツカには行かないのですよ。」

 私は、「君たちロシア人も結構、おちょくられているよ」といって、次のようなジョークをロシア青年に話した:

 ヨーロッパのある国の政府高官が大統領に忠言した。「大統領!わが国も海軍省を設けましょう。」大統領は驚き言った。「でも君、わが国には海など無いではないか?」政府高官は答えた。「海なんか無くても海軍省があってもいいじゃないですか?」「だって、大統領!ロシアにだって文化省があるんですよ!」

 民族ジョークはちょっと危ないですね。tommy
 

「~してあげます」---理系人間特有表現

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 3月21日(日)22時47分31秒
編集済
   かつて、バスガイド嬢特有の表現に「~になります」があった。例えば、「皆様、左手をご覧ください。木立の間から見えます白い建物が小田原城になります。」バスガイドの美しい声とともにこの表現を聞くと旅情が湧いてきてなかなか良かったものだ。論理的には変である。「小田原城でございます」とすべきところだったと思う。

 この表現は、今も多くの人が使っている:

 ウエイトレス嬢曰く、「こちらがデザートになります。」
 背広姿の会社員曰く、「こちらが弊社の案内書になります。」

「~になります」は転成表現なのだから、「~でございます、~です」とストレートに言えばいいと私は思うのだが、どうしても「ぼかして」表現したいのだろうか? 何かその「ぼかし」に効果的なことでもあるのだろうか?

 最近、またそれと似た「ちょっと気になる」使い方で、「~してあげます」が耳に付いた。主に理系の学者や研究者が好んで用いる表現らしいのだが、こんな使い方だ:

 「この装置に乾電池を、この方向につないであげます」(-->つなぎます)
 「レーザー光に鏡を、こんな風に当ててあげます」(--->当てます)

 (何も、装置や機械はそんなことしてもらいたいとは思ってないとおもうのだが、、、。)

「~する」と言うべきところを、ある機械や装置に対して全く必要のないと思われる「~してあげる」という表現に変えるのだ。これは「ぼかし表現」とは違うのであろうが、私にはやはり違和感をおぼえる。研究者たちの心理を考えてみたのだが、彼らは人間相手ではなく、毎日、機械や装置と相対して暮らしている。理系の研究者にとっては、そういった無生物に対して、生物化してみたいという本能が働くのではないだろうか? 日々、付き合っている機械や装置に「~してあげる」と使えば、人間的な温かみのある交流を感じて、孤独から少しは解放されるのかもしれない。そういった情緒的な表現なのかもしれない。

 でも私はこの表現が嫌いだ。 いっそのこと、「~させていただきます」と変えたらいかがか? tommy
 

「そうだ」表現

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 3月20日(土)18時09分45秒
   先週の日本語教室で、学習者のロシア青年が私に質問した。①「美味しそうだ」と②「美味しいそうだ」の違いである。

  ②は「い」が途中にあるが、それがあるかないかでずいぶん意味が変わってしまう。「そうだ」という助動詞は共通でも、①は「美味しそう」という形がまずあり、それに「だ」を付けて、「話者の推測」を表現しているのに対し、②は「美味しい」という(他者の)情報を話者が伝達している「伝聞」表現である。

  ③雨が降りそうだ。(話者が「すぐに降雨がある」と推測している)
  ④雨が降るそうだ。(マスコミなどからの報道を話者が他者に伝達している)

  なお、似ている表現に「ようだ」があるが、 ⑤「雨が降るようだ」となると、話者の推測とも伝聞とも、どちらにもとれる。

 この、「そうだ・ようだ」は「な」を付けて形容詞、「に」を付けて副詞としてもよく使われる。
  ⑥美味しそうな弁当
  ⑦お化けが出そうな雰囲気だ
  ⑧あの人のような親切な人は、、、。
  ⑨助けてくれるような話をしておいて、、、。

 上手く、ロシア青年に分かってもらえたか、は心もとない。 tommy
 

「大丈夫」の使い方

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 3月 4日(木)01時14分29秒
   私は最近「大丈夫」という言葉の氾濫にちょっと辟易気味だ。若者の間で「とても良い」の代わりに多用されている。数日前、20代の若いお客さんにおにぎりの具にちょっと拘って出して「どう、美味しいだろ?」と尋ねると、「大丈夫です」と答えた。勿論、この若者の意味するところは「美味しいです」だと分かってはいるが、「大丈夫」という言葉の響きに違和感を覚える。どうしても私の耳には「何とか我慢できる味だ!」というマイナスイメージとして響く。

  NHK放送研究所のメディア研究部の柴田実さんは、『三省堂国語辞典第6版』の記述で「1.心配ないようす 2.(俗)よろしい、けっこう。 3.(古風)きっと。まちがいなく。」とあるのを例にとり、「大丈夫」が俗語として「 よろしい、けっこう」の意味で使われているのを寛容な気持ちで受け止めているようだ。例えば、接客業で「水はよろしいですか?」の意味で「水は大丈夫ですか?」を使っても許容できるのではないか、と言っている。

 「よろしい」「けっこう」「OK]「No Problem」の意味までなら私にもなんとか寛容で居られるが、「美味しい」の代替語として「大丈夫」を使われるのは、料理を作った方の立場からするとやはり「カチン」と来てしまう。単なる「言葉のゆれ」では、すまされないのではないかと私は思う。まだ、「ヤバーイ」と言われたほうがましだ。そのほうが面白くて、可愛らしく感じる。 tommy
 

「ゴールデンスランバー」について

 投稿者:soba95  投稿日:2010年 2月27日(土)23時01分16秒
  以前「フィッシュストーリー」という映画を紹介したが、同じ原作者(伊坂幸太郎)と監督(中村義洋)のコンビによる「ゴールデンスランバー」という映画を最近見てよかったので紹介します。宅配の配送員青柳は、久しぶりに会った大学時代の友人と車の中にいたところ、近くをパレードしていて爆弾テロ攻撃を受けた首相の暗殺犯にされてしまう。逃げる青柳。追う警察。ビートルズの「ゴールデンスランバー」という曲がたんなるBGMとしてではなく、物語のモチーフとしてとても自然に織り込まれている。Once there was a way to get back homeward. Once there was a way to get back home. 黄金時代はあった。もはや戻れないし、全く同じように再現することもできない。でも、そのときのつながりがまったく消滅したわけではない。その後に作り上げたつながりもある。それらが細々とつながって、今日をそして明日を生きる支えとなっている。生きていかなければならない。Golden
slumbers fill your eyes. Smiles awake you when you rise.Sleep pretty darling do not
cry. And I will sing a lullaby. お薦めです。
 

経済成長

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 1月18日(月)12時42分22秒
編集済
   私も「経済成長が絶対必要である」というのは一種の神話ではないかと思います。経済成長と人類の幸福は等価ではなく、別次元の問題だからです。現状維持や軽度のマイナス成長であっても、人類は幸せは有り得るはずです。物資やお金が今よりなくなっても、それなりに生活スタイルを変えていけばいいのであって、それこそ創意工夫が発揮され、生き生きとした生活ができるチャンスでしょう。(パック旅行より個人のケチケチオリジナル旅行のほうが遥かに刺激的ですよね。)

 江戸時代の1837年、江戸の人口は128万人となり、ロンドンの85万人を抜いて、世界一の都市となりました。狭い土地のなかで、江戸の人々は本当に循環型の都市を形成していたようです。ゴミはもちろん、し尿に至るまで徹底したリサイクル社会だったと聞きます。当時の欧州の都市と比べて、衛生面でも極めて清潔な生活をしていたようで、疫病の流行も最小限で済んでいます。私たちの未来モデルをアメリカや欧州に求めず、江戸の人々に相談してみたらどうでしょう。事大主義や「自己植民地主義」に惑わされず、素直に先人の知恵を拝借しながら現代の知恵を重ね合わせていけば、未来への創造的なモデルをきっと考案できると思います。 tommy
 

年末年始の本整理から(その2)

 投稿者:soba95  投稿日:2010年 1月17日(日)11時09分43秒
  蓮ホウ(漢字出ないので失礼します)は「なんで2位じゃいけないんですか」と言って、その世界の方々から失笑を買った。確かに来年度予算の査定という文脈ではそうなのかもしれない。しかし、人類の未来という大風呂敷を広げてみれば(「事業仕分け」という場面では場違いかもしれないが)真剣に聞くべきメッセージかもしれない。加藤尚武「環境倫理学のすすめ」(丸善ライブラリー)によれば、「現在世界で公認されている社会目標が経済成長以外にないという点に世界の危機がある」という。経済成長だけを目標にするのは、近代が「「過去世代にはもう遠慮しませんよ」という文化を作りあげた。それが実は「未来世代にも責任を負いません」という半面を含んでいる」からだ。このような態度は、無限の資源と無限のゴミ捨て場という世界観と一体となっている。しかし、ここへきて、資源もゴミ捨て場も無限でないことが明らかになってきた。この先さらに経済成長を進め、有限の資源とゴミ捨て場を使い尽くしてしまうのは、人間以外の生命やこれから生まれてくる世代に対して無責任のきわみであるという。孤島に100人の人がいて、食糧が50人分しかないとする。どうやってあとの50人分を作るかというのは技術問題。これで解決できるならそれがよい。しかし問題はつねに技術的に解決できるとは限らない。ここに倫理学の出番があり、「環境倫理学」という書名の由来がある。とりあえず、不況は心配だし、理不尽な格差は解消していかなくてはならないだろう。しかし「歴史の本当の曲がり角は、進歩の時代の終わりが始まろうとしているところにある。環境と資源の限界が人類に抑制を強いるだろう」という言葉を突きつけられている。
橋本治「日本の行く道」(集英社新書)も、経済成長に疑問符を突きつける。「「必要か不要かを無視して「欲しい」と思ったものはどんどん買え。なぜならば個人消費こそが景気の動向を左右するのだ」という考え方は、この産業革命以来のあり方をストレートに受け継ぐものです。だから、「もうそんなのいいじゃないか」という成熟した声が、地球の上に生まれたっていいのです」という言葉は、加藤尚武の「進歩の時代の終わりが始まろうとしている」と呼応している。橋本は超高層ビルを壊してしまおうと言っている。壊すのはなかなか難しいとしても、せめてこれ以上作らないでもらいたい。低中層の住宅・店舗・事務所などをつぶして更地にし再開発、高層超高層ビルを建てて著名な店舗やオフィスを呼んでくるというビジネスモデルで、顔のない記号のような街が増えてゆくばかり。もはや「進歩」ですらない。ところで、橋本は「格差社会」について鋭いことを言っている。「「格差」を前提に成り立っているのが(例えば戦前の日本の)「格差社会」で、今の日本は「格差があるから格差社会だ」というだけ」「ところが今は「貧乏人」という概念自体がないのです。「みんな平等」を前提にしていて、しかし、ある人達には仕事がないのです」という。つまり、貧乏なり格差なりが、社会の中にそれなりに位置づけられていて、貧乏人は貧乏人なりに生きていくための仕組み・文化・納得などというものが提供されていた時代とは、今仕事がなくなるということは意味が違うと言っているのだろう。いくつかの格差社会論を読むなかで、いまひとつピンとくるものがなかったが、これは自分にとっては目から鱗だった。
 

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