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年末年始の本整理から

 投稿者:soba95  投稿日:2010年 1月17日(日)02時33分51秒
  何冊かまとめて紹介します。
山岸俊男「安心社会から信頼社会へ」(中公新書)は、多くの心裡学的実験の結果を踏まえながら、「いつまでも継続することが保証された「コミットメント関係」の中にいることで安心が提供されていた」日本人は、集団に安住していた「安心社会」の崩壊に直面するこれからは、アメリカ人に代表される欧米人のように、他人を信頼できるかどうかの判断力を身につけ、本当に他人を信頼する「信頼社会」に移行すべきと言う。集団に埋没して個人の見えない劣等日本社会と、個人が生き生きと生きる素晴らしい欧米社会という図式である。ほんとうにそうなのだろうか。例えば、2000年の人口10万あたりの殺人発生率、日本=1.1件、米国=5.6件、英国=18.5件。窃盗では、日本=1871件、米国=3804件、英国5533件。この差は、長期的安定的な関係の築けない欧米社会というところからきているのではないか。「信頼社会」とは、このようなリスクの高い状況から強いられた仕方のない姿なのではないか。心理実験の成果をただちに社会のあり方やその価値評価に結び付けて考えることの危険性を感じる。この著者の考え方は、以前に紹介した鈴木孝夫の「自己植民地化」、すなわち、「自分が進んで選んだ文化宗主国をモデルとして、自分たちの国を改革し、自分自身を相手のもつ高い水準に合致するよう改造する努力」の現われではないだろうか。
次に、城繁幸「たった1%の賃下げが99%を幸せにする」(東洋経済新報社)は、「日本企業の99%には年齢給(あるいは実質年齢給的に運用されている能力給)が存在し、序列・賃金は下方硬直性を強くもってい」て、「非正規雇用の拡大も、就職氷河期世代も、みんな正社員の既得権を守るために生み出された」という。そしてこの問題を解決するには「年齢・勤続年数で処遇を決めるという「時代錯誤なシステム」からの脱却」が必要という。確かに、バブル崩壊後の経済停滞に対処する際、現役世代や引退世代を守ろうとして、そのツケを若い世代にまわしてしまった、という面は否定できない。しかし、それを解決しようとするとき、「日本的な処遇の仕方(長期的な関係を前提とした)」を破壊するしか方法はないのだろうか。著者は「日本型雇用」を否定する。やはりアメリカ型雇用か。それとも北欧型か。日本型は変えずに、中高年の所得を少し下げるという形では無理なのか。ここにも、「遅れた日本」「進んだ欧米」という図式への囚われがあるのではないか。
次に、小池和男「日本産業社会の「神話」」(日経新聞社)によれば、日本の企業は、思ったほど集団主義的ではないし、個人間の競争は激しいという。また、短期的な能力・業績を評価すると見られる米国企業が、それほど能力主義・短期業績主義ではなく、高度な仕事であれば、長期の能力開発・能力査定をおこなっており、日本の年功給と似たような給与の分布を示すという。そして「もし「人は石垣、人は城」というのであれば、その人材の育成をはかり、人材を見定めるほかない。それには洋の東西をとわず長期を要する」それを嫌って「しいて数値で業績を測ろうとすれば、短期の数値を重視するほかない。だが、それは長い目でみた企業の効率にはなはだしい悪影響がある」とのこと。著者は、こうした外国との比較をする際には「その問題について直接比較している最良の既存の研究を選びだし、その質を認識し限度を心得て」検討するという。こうして、良質の資料を虚心に眺めてみれば、「進んだ欧米」の制度が、「遅れた日本」と案外変わらないことが分かり、「進んだ欧米」に合わせようとする「改革」が、改良でも改善でもなく、かえって改悪となることに気づくのだ。もちろん、日本が何から何まで素晴らしいということではない。しかし、私たちは「自己植民地化」民族で、よそ様がついつい素晴らしく見えてしまうメガネをかけているのだ、ということを忘れるべきではない。
 
 

古代エジプトの太陽暦

 投稿者:tommy  投稿日:2010年 1月 4日(月)18時40分0秒
   昨年暮れ以来、太陽系の運行に興味を持ちはじめ調べていたら、太陽暦の起源に出合った。古代エジプト人は、ナイル川が氾濫し始める時期が近づくと、ある日、おおいぬ座の主星「シリウス」と太陽が同時に地平線を昇ることに気づいた。それで、次に同時に昇る日までの期間を一年と定めたという。

 同時に昇る日とはいつなのか、気になっていたが本日「太陽系シミュレーションスタジオ」という有難い無料ソフトの存在を知り、早速インストールさせていただき、この検証を行ってみた。場所をエジプトのカイロ(本当は中部の都市、メンフィスにすべきだった)に設定して、洪水が起こるのは夏だろうから、本年2010年の6月くらいから設定をはじめ、日の出の時刻を4時ころに設定して日にちをずらしていくと、7月20日の午前4時27分のところで、シリウスと太陽は同時に地平線を昇り切る、ことが分かった。

 次に、来年(2011年)の同日同時刻に設定してみるとやはりシリウスと太陽は同時に昇ることがわかった。これをソフトが可能な18世紀後半から26世紀までの900年間ずっと試してみたが、結果は1分の狂いもなかった。だから、3000年前のエジプトでも、この日、この時刻にシリウスと太陽は同時に昇ったのであろう。

 後で、調べて分かったのだか、古代エジプトでは、現在の7月19日を正月の一日として、このシリウスと太陽が次に同時に昇るまでの365日を30日で割り、ひと月を作り、1年を12カ月とし、余る5日は調整の日にしたという。

 この優秀な暦は古代ローマの将軍、ユリウス・カエサルによって高く評価され(実際一年は365.2422日なのだが)365.25日として再計算され、より正確にローマ帝国に引き継がれた。その後、1582年ローマ法王グレゴリウス13世の命で、学者たちがさらに修正を加え、現在、私たちが使っているグレゴリオ暦が誕生したそうである。これは3000年で一日ズレるだけの正確な暦なのだそうだ。 tommy
 

大晦日

 投稿者:tommy  投稿日:2009年12月31日(木)22時32分30秒
   隣りの部屋から、紅白歌合戦が聞こえてきます。今年も終わりますね。退職して2年目のお正月をあと1時間半で迎えます。「ご隠居生活」がこんなにも意義深く、楽しいものとは正直、現役の頃には思いませんでした。きっと退屈するのだと、想像していましたが、まったく違いました。2年が過ぎようとしている今、依然、退屈とは程遠く、毎日、やりたいことがいっぱいで、整理しながら、慌てず、少しずつこなしています。 tommy  

EE(電気眼)スイッチ

 投稿者:tommy  投稿日:2009年11月25日(水)17時17分47秒
   冬が近づいて日がとっても短くなりましたので、長年の懸案だった玄関灯に自動点灯消灯光電装置(EEスイッチ)を取り付けました。パナソニックのEE8113K(980円)ですが、長年のベストセラーのようで、10年前に取り付けた当時の松下電器のものと値段も形も同じでした。 配線する前に、中がどうなっているか興味があったので、蓋を開けて見てみると、それは直径2cmはあるかと思われる豪華で大きな硫化カドミウムの光センサーが入っていました。その下には洒落たヒーターとバイメタルの組み合わせが付いていました。
 夕方40ルックス程に暗くなると点灯し、朝は120ルックスで消灯するシステムです。もちろん、電気がもったいないので深夜には消します。 先ほど暗くなり、早速点灯しました。これで、もう夕方遅く帰ってきても心配なくなりました。 tommy
 

鉄錆びラジオから量子論へ

 投稿者:tommy  投稿日:2009年11月 9日(月)18時16分41秒
編集済
   古カッター刃の鉄サビが半導体として検波作用がある、ということを下で書きましたが、それ以来、いろいろなもので試しました。以前「火起こし」の際に火花発生源として錆びたボロ鎌が大活躍しましたが、今回もそのボロ鎌が最高の音質で「検波器」になってくれました。(このボロ鎌は草取りにも現役に使っていますから、3冠達成の賞でも差し上げたいくらいです)そのほか、スクリュードライバーも検波に有効でした。

 それで、電波の不思議にはまり込んでしまい、ついに電磁力学、そして、今や量子力学の森に彷徨いこんでしまい抜け出ることができなくなりました。相対性理論とか量子ドットの学習へと進んでいます。なんとか理解できたような気にはなっています。(本当には分かっていません。大変な学問のようです)

 ところで、今私は0と1の2進法で情報処理するコンピュータでこの文章を打っていますが、「量子コンピュータ」というのが近々実現するようです。記憶素子に電子を充満させたら1、空なら0というやり方の今のコンピュータは、間もなく「古典コンピュータ」と言われそうです。量子コンピュータでは、電子を励起させたときの「状態」によって「数種の状態」を認識できるので、その異なる「状態」を用いて情報化するようです。今のコンピュータが数千万年、数億年かかる計算を、数秒から数十秒で解いてしまうというのですから、これは革命が起きるのでしょう。

 現代社会はコンピュータによって革命が起きました。社会主義や資本主義といったイデオロギーの革命にも勝る大規模な社会変革でした。それが、また、もう一段も大きくなって私たちの生活を根本から切り替える社会がこの「量子コンピュータ」の出現によって到来するかもしれません。  tommy
 

カッターの刃でラジオ

 投稿者:tommy  投稿日:2009年11月 2日(月)18時54分32秒
編集済
   下に書いた「石器時代収音機」のキットに触発され、全部自分で作れないか挑戦してみた。

 原始的なラジオにも最低限必要な「同調」と「検波」を自作できる、とネットで知ったので、この2,3週間、試行錯誤をしていたら、本日、最難関の検波も出来て、完全手作りのラジオが完成した。(ただし、「出力」にはイヤホンでは音量が小さすぎて聞こえないので、コンピュータ用の増幅スピーカーに接続した。それでもかすかな音である)

 検波には「ゲルマニウム・ダイオードを使用せずとも錆びたカッターとシャープペンシルの芯があればできる」とネットに出ていた。そこで、道具箱から運よく錆びたカッターを見つけ、その刃の部分にシャープペンシルの芯を擦りつけ、あちこち動かしていたら、ある場所で米軍放送が聞こえてきた。(私の自宅は米軍放送局のある横田基地から13kmだから、強い電波を受けているためであろう)

 コイルは障子紙の芯に150回程度、銅線を巻いたもの、バリコンは台所にあるアルミホイル2枚(約15cm四方)をそれぞれ別の書類ファイルに入れることで絶縁して、その2枚のアルミホイルを少しずつずらしていくとNHKの第1、第2、そして米軍放送が選局できた。(TBSなど他の局は聴解不能)

 アンテナは電源アンテナも試してみたが、家庭の電話機についているアンテナに接続するのが、一番良かった。かすかな音だが、話の内容は聞きとれる。

 今回のラジオ制作でわざわざ購入したものは一つもなく、コイル、バリコン、そして検波器の3点すべてを家にあった材料で作った。こんなもので、放送が聞けるとは、前回の「石器時代収音機」に増して驚き、またあらためて不思議に思ったものである。 tommy
 

石器時代収音機

 投稿者:tommy  投稿日:2009年10月22日(木)17時39分56秒
編集済
   先週、秋葉原で「石器時代収音機(\450)」という組み立てキットを買った。ゲルマニウムラジオのことだ。中国語なのだが「石器時代」とは思わず笑ってしまったが、「収音機」とは中国語でラジオのことのようだが、実に上手く表現していると思う。アンテナから「音」声信号を「収」める訳だから「収音機」、受信機よりずっと分かりやすい。

 30年代後期、中学生だった私は一人、はるばる秋葉原へ行き、ゲルマニウムラジオ部品を買って組み立てた。それ以来だから、もう半世紀近くの歳月がたったのだが、秋葉原の雰囲気はそれほど変わっていなかった。サラリーマン時代はお茶の水が職場だったのに、隣町の秋葉原に行ったことは一度もなかった。

 ご隠居の身になり、有り余る時間を、昔のラジオ少年に戻ったかのように、電子部品をみてほくそ笑んでいる。ゲルマニウムラジオは、理論的にはゲルマニウムのダイオードとイヤホンがあれば、アンテナとアースをきちんとすると、いろいろな放送が電源なしで聞こえるという驚くべきものだ。さらに、コイルと可変コンデンサを付ければ、NHKなどの放送局を特定して受信できる。

 今回買ったゲルマラジオは多少の付属コンデンサ、抵抗なども付いているが、基本的には上の4つの材料だけである。この投稿も、そのゲルマでNHK第1放送を聞きながら書いているが、十分実用になる。さらにイヤホンの音声をパソコン用のスピーカで増幅すれば、なんら普通の放送と変わらない音質と音量になる。

 素朴な部品の組み合わせを見ながら、どうしてこれで放送が聞けるのか本当に不思議に思う。ラジオの原理は分かっているつもりだが、それでもなぜ、こんなもので聞こえるのか不思議である。森羅万象というのは案外、もとは単純素朴なものなのかも知れない。 tommy
 

外国語学習

 投稿者:tommy  投稿日:2009年10月19日(月)22時47分34秒
   Sobaさんへ:

  「自己植民地化」というキャッチイな言葉を生みだした鈴木孝夫さんという人はユニークな人なのでしょうね。アメリカ人やイギリス人の英語に対する感覚は、やはり圧倒的優位な言語をほぼ母国語として使用している優越性から発生することは確かだと思います。私の立場が彼らと同じならば、やはり同じような感覚をもったと思います。

 若いころ世界漫遊の旅に出たことがあります。横浜から船にのってシベリヤへ、モスクワを経てフィンランドなどスカンジナビアの国々、ドイツ、スイスなどの中央のヨーロッパからパリへそしてロンドンへ、スコットランドへ、またパリにもどり帰国。 そんな旅でしたが、帰国する前、パリのユースホステルで同室の人々と熱く話をしたのを覚えています。そのときアメリカからの学生が「アメリカ人が外国語を勉強しないのは間違っている」と口角泡を飛ばして訴えていました。「英語が世界で通用するので、外国語を学ぶアメリカ人は殆どいない。高校でも外国語を殆ど学ばない。それは間違っている。」と。

 私は彼の「自己」批判に対して同意を表明しましたが、「外国語を学ばないのは、間違っている」というより、「外国語を学ぶ楽しさを知らないのは不幸である」と感じました。当時、私は英語が大好きでした。英語は私の生きがいであり、当時の私の「人生の目的」でもありました。

 今は「人生の目的など特に必要ない」という考えになりました。自分は生まれたから生きているのであり、生きているから生きているのである、ただ、どうせ生きるのなら楽しく、満足の得られる生き方をしたい。」 ひとりよがりともいうべき考えでしょうが、これでいいんじゃないかな、と思っています。今まで、あまりにも教条主義的に生きてきた反動なのかもしれませんね。 tommy
 

「外国語学習の政治性」そして「掛け声」について

 投稿者:soba95  投稿日:2009年10月18日(日)01時25分32秒
  tommyさんの投稿にひとこと。
「「英語を勉強する」ということは、極めて歴史的、経済的、そして政治的な営み」というのはその通りだと思います。先に引用した鈴木孝夫の「日本人はなぜ英語ができないか」によれば、「アメリカ人の方は[日本人とは]まさに正反対で、自分が物事すべての規準であって、相手のもつ異質性をば普遍からの逸脱、不公正なルール違反と見てただちに攻撃に出ます」「[中国では]外国語を学ぶ主な目的が、相手国を知ることよりも、学ぶ自国民に自分たちの国がどんなによい国か、いかに偉大で光輝に満ちた長い歴史をもっているのかなどを自覚させ、それによって自国に対する愛情と誇りをもたせることに向けられている」ということで、それぞれの外国語学習態度の類型を、「日本=自己改造・社会改造」「米国=他者攻撃・折伏制御」「中国=自己顕示・自己宣伝」とまとめています。これらがどこまで当たっているかは別としても、外国語学習に対する態度が国によってかなり異なっていることは間違いないでしょう。
「掛け声・囃し言葉」について。マルクス主義が盛んな頃は、言語の労働起源説も盛んだったようです。今では一時ほどの勢いはないのでしょう。私も、労働起源説はちょっとどうかなと思います。でも、tommyさんの話を読んでいたら、労働だけが起源だとは言えないにしても、なんらかの共同作業(いわゆる労働とはかぎらないとしても)の際の掛け声や囃し言葉が、「同一概念が同一音声とセットになる」ための何らかのきっかけになったことは間違いないような気がしました。
動物に概念があるかどうか分かりませんが、人間がこれほど概念を発達させたのは、人々に共通する音声や形象とリンクしたことが大きいのではないかと思います。個々の人間が概念の萌芽を脳内に胚胎させたとしても、それぞれが勝手な音声で表わしていたら、概念は萌芽にとどまり、いまのような壮大な概念体系を構築することはなかったでしょう。それを考えると、同じ音声が同じ感じや思いを載せているという感覚が、利便なり快感なりをもたらす、という場面が必要だったのではないかと推察します。
 

「辞書引き」そして「等式」について

 投稿者:soba95  投稿日:2009年10月14日(水)10時18分3秒
  ZENさんの投稿にひとこと。
辞書引きについては、自分自身、中学時代は教科書の巻末頼りで、あまり辞書を引いたことはなく、また、教える際も、初級ならあまり辞書を引かせなくてもいいかなと思っています。では、どのくらいのレベルからどのように辞書を引かせるのか、と言われると、初歩(に留まっている)の生徒ばかり教えているので、なんとも言えないのですが。
「英語と日本語は必ずしも等式では結べない」というのは、まったくその通りで、生涯学習の英語講座に来る生徒さんでも、日本語の単語と英語の単語が「一対一対応」しているかのように感じている方がとても多いです。それで、私の講座では、動詞活用など基本的な文法を身につけることと並んで、「日英語の一対一対応」という観念を崩すことに力を入れています(成果はあまり上がってないかもしれませんが)。日本の英語学習の大きな問題のひとつと考えていますが、日本人の他の外国語の学習者あるいは他の国の外国語学習者のあいだでも初歩のレベルでは普通に見られることなんでしょうか。どなたか教えていただけると幸いです。
辞書の話に関連づけて言うと、講座では英語の勉強が好きな生徒さんが多いので、辞書を引くことを嫌がる方はあまりいないようですが、辞書を引いても「訳語」しか見ていないような気がします。というのも、講座で動詞型の勉強をするのですが、「辞書に動詞型の情報が書いてあることを初めて知りました」という方がけっこういるのと、辞書から動詞型情報を読み取る練習をしてもなかなか読み取れるようにならない方も少なくないのです。辞書を引いても、中身を読んでいない、ということでしょうか。
英語(に限らず外国語)の学習は独学独習が基本(その言語が身近で使われてない場合)と
考えていますが、だとすると辞書は必須ツールです。でもこのツールは諸刃の剣になりやすい、扱いの難しいツールだと感じています。
 

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