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鉄の文明

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 8月27日(木)00時34分1秒
編集済
   最近のある日突然、私は鉄に興味を持った。その日以来、ずっと鉄に関する知見を集めながら、空想に浸っている。もし私が今、6世紀、7世紀の日本にタイムスリップしたとして、現代文明のいかなる道具や器具を使用せず、砂鉄と木炭から鉄を取り出したいとすれば、どうしたら良いのか?
  Fe₃O₄ + 3C ---> 3Fe  +  2CO₂
の化学反応式を実現するにはどうしたら良いのか、である。例えば、出雲の古人が始めた「たたら製鉄」の方法を、私の庭で簡単に再現できる方法はあるのだろうか?

 鉄の製法は私にロマンを抱かせる。地球には鉄が無尽蔵にある。2価および3価の酸化鉄として自然界には存在するが、木炭などの炭素で還元すれば、単体のきらきら光る金属の鉄が得られる。それがもたらす応用範囲は人類にとって驚異的なものだ。

 文明は人類が鉄を支配してから進んだと言っていいだろう。青銅器時代は鉄器時代の幕開けであり鉄器時代の一部として見なせるならば、それ以前の時代は石器時代であり、それは何万年も、何十万年も続いた。このわずか、千年、数千年の鉄器時代が人類の歴史と文明を育ててきたといっても過言ではあるまい。そして、18世紀の英国での産業革命以来、鉄の文明は、驚異的な変革を良くも悪くも人類史にもたらした。

 この鉄という物質としばらく付き合って勉強していきたい。 tommy
 
 

「小さいプレゼント」

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 8月 3日(月)11時40分8秒
  日本語ヘルプをしているロシアの青年が昨日、私の自宅を訪ねてきた。ショコラ菓子を差し出し、「小さいプレゼントです」と言った。 日本人だったら恐らく「つまらないものですが、、、。」というのが自然だろうが、「小さいプレゼント」は、私にはむしろ好感のもてる表現だった。だからいつもの老婆心の指導はしないでおいた。 英語なら "Here's a little present for you."となるが、ロシア語でもきっとそういう表現をするのだろう。

 「小さい、小さな」という言葉の中に、お客さんの謙遜と遠慮の気持が込められているから、ホストにはその言葉は好感をもって響く。より自然であるはずの「つまらない」という言葉は、あまりにも謙遜の度合いを高め過ぎてしまい、かえって貰う方としては、へそを曲げて「つまらないものなら要らないよ」という気持ちにもなりかねない。

 「つまらないもの」だけでなく、最近「ちょっと」とか「少し」とかいう言葉は、私にはいささか拒絶感のする言葉になった。「日本経済は未曽有の危機にあり、ちょっと大転換しなければならない。」なんて使う人もいる。「ちょっと大転換ってどのくらいの転換なの?」と突っ込みを入れたくなる。「あなた、少しいい加減にしてよ!」なんて言われることもある。

 これは、日本語に限らず韓国語でも、そんな表現がある。 「ヨギヨー!メクチュ ジョム セービョン カッタ ジュセヨ!」(すいませーん! ビール ちょっと 3本 もって来てください!) この「ジョム」は何の意味もないが、彼らは数などの前によくこのことばを入れるのだ。日本人には自然に聞こえるだろう。<ところで、韓国では人前で日本語の「チョット」という発声は厳禁です。大変な意味に取られるようです。ソウルの街角で大声で「チョットマッテ」などと叫ぼうものなら、周りの人から軽蔑の眼差しを向けられること必定> tommy
 

レンミンビとグリーンバック

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 7月28日(火)20時23分57秒
編集済
   中国の元(yuan)が世界の基軸通貨として米ドルに近い将来取って代わるのか、そんな声が現実味を帯びて聞こえてくる。 来年、中国のGDPは日本のGDPを抜いて米国に次ぎ世界第2位になり、名実ともに世界第二の経済大国になることがかなり確実になったからだ。

 今年2009年の3月、周小川・中国人民銀行総裁が「ドルに代わる新しい国際準備通貨が必要だ。新準備通貨として、国際通貨基金(IMF)[International Monetary Fund]が管理する多通貨バスケットを利用するのも一案だ」と述べ、ドルを牽制する発言をして世界を驚かせた。具体的には、「国家主権を超越した新基軸通貨を創造すべきだが、当面はIMFの特別引出権(SDR)[Special Drawing Rights ]を活用したらどうか」という提案である。

 「中国、日本、韓国、台湾、越南を中心とした東アジア諸国で、まず共通通貨を構築する」というのが私の夢だ。(それが今、現実的かどうかはわからない)ただ、ヨーロッパで行われているEuroの現実は、東アジア共通通貨が、決して「夢物語ではない」ことを裏付けているだろう。 (但し、大東亜共栄圏思想・内務省出身・風見鶏政治家・不沈空母発言の中曽根康弘氏が云う「2030年までにACU[Asia Currency Unit]を創設する」という構想は彼の性(さが)故、全く信用できない)共通貨幣の創設には傲慢さを排除し、平和と平等互恵の原則が確実に共有されていなければならない。

 私はドルが崩壊するとは思わない。 現在のような世界唯一の基軸通貨としての機能は失われると思うが、世界の主要通貨としての地位は南北アメリカ世界をバックに失われないだろう。

 アメリカではGreenback(米ドルの愛称)からRedback(人民元)への転換がささやかれているようだが、私は近い将来に人民幣(レンミンビ)が米ドルに代わるとは思わないし、代わってほしくはない。 「世界のドル」そして「世界のアメリカ」「世界の警察」としてアメリカの傲慢さの中で、私は半生を送り、それに辟易し続けてきた。 今度は、中国の傲慢さの権化である「中華思想」がそれに代わるのなら、これまた御免である。 tommy
 

「の」について Part3

 投稿者:soba95  投稿日:2009年 7月25日(土)01時11分10秒
  「の」はほんとうに不思議な言葉です。それ自体の意味を言うことができないのに、何かを確実に付け加えています。それが何なのかうまく言えないのですが。
tommyさんの、「の」の由来にかんする説というかイメージというか、面白いです。ちょっと怪しげでもありますが、色んな角度から色んな見かたを出していって、少しでも正体が分かってくるといいですね。tommyさんは、アイヌ語や韓国語の素養があるからか、とても広い時間と空間の中で言葉を考えていて、いつも感心しています。
 

「の」について Part2 

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 7月25日(土)00時21分2秒
   ありがとう、Sobaさん。「の」は不思議な言葉ですね。私は「の」が好きです。子供の時からこの字が好きでした。鳴門巻きを買うと、どこを切っても赤い「の」の字が出てくるので面白くて、食べてまた、切って食べてと、、、。今でも時々やります。お酒のおつまみとしても、ワサビをたっぷりつけて食べるとかなり行けます。そういえば、台湾の人もこの「の」が好きで、T-シャツなどにも大きく染め抜いて楽しんでいるようです。
 失礼、脱線しました。「の」は簡単に名詞化するツールとしてはチャンピオンですね。ちょっと砕けさせるには「ヤツ」で代用できます。「その赤いヤツ取って」なんて。でも「ヤツ」は男言葉ですね。女性が使うとちょっと野蛮な感じです。名詞化ツールのほかにはもちろん、形容詞化のツールにも使えるし、英語の「of」以上の多様性がありますね。

 いったいこの「の」はどこから来たのか? 人間は、次の言葉を言うまでちょっと休みながら「あなたの言葉をちゃんと聞いていますよ」とか「まだこれから私は話し続けますよ」という意思表示のために、舌を上あごにつけて「ん、ん、ん」というように「N音」や「M音」を使っているような気がします。そんな感じで生まれた言葉なのか、、、?

 「ほんとに英語を身につけたいんなら、やっぱり留学でしょう」では、「の」が「N音」だけになってしまいますね。英語のnotも省略されると、n'tのように「O音」が取れてしまうのは偶然の一致でしょうか? 関西方面では、「行くの?」は「行くん?」と言っても大丈夫ですよね。

 ところで、今、韓国語講座を勉強して帰って来たのですが、日本語の「~だから」「~なので」に相当するものは主に三種類あり、①~ニカ、②~ソ、③~[キ] テムネがあるそうでう。(このほかに「ムロ」もあります。)前件には理由や原因の文が来て、これらの言葉を出してから、後件の文章を続けるのですが、ニカの後ろには、依頼、提案、命令の文章だけが許されて、一般的な結果陳述をしてはいけないのだと韓国人の先生が口を酸っぱくて強調していました。「たら・れば・なら」論議と似ているので思わず苦笑してしまいました。例えば、「今日は 暑い(ニカ)、スイカを 食べよう」(=オヌルン トウニカ スバグル モクチャ)とは言えるが、「今日は暑い(ニカ)、スイカを食べます」(... スバグル モグムニダ)はだめだそうです。「今日は暑い(ソ)、スイカを食べます」か「今日は暑(キ テムネ)、スイカを食べます」といわねばならないのです。日本人は何でも「ニカ」を使ってしまうと言って嘆いていました。外国人が「神様優しいだから、(自分がイスラム教徒であっても)お酒飲んでも大丈夫」なんて言い方をよくするので私は可笑して面白くてたまりませんが、韓国人には日本語話者が多用する「ニカ」にそんな感じがするのでしょうか。では、また。 tommy
 

「の」について

 投稿者:soba95  投稿日:2009年 7月24日(金)00時44分24秒
  tommyさんの難問が続きますね。これは、「のなら」と「なら」の比較の問題というよりは、「の」についてまず検討するのがいいかと。「の」と言ってもあまりに広いので、ここでは絞って、ごく一部のみ取り上げます。「の」のおおもとは、「その赤いの取って」みたいな、英語の代名詞oneのような用法でしょうか。それが発展して「知らないのは罪だ」みたいな、英語の接続詞thatのような用法に発展し、さらに「どこで会ったのか」みたいな、具体性の薄い用法に発展しました(歴史的にではなくイメージ的に)。「のなら」の「の」は、
この3番目の「の」ではないかと思います。この「の」は、やたらと出てきて、よく分からないのですが、いくつか考えた例文からは、「色々考えてみると、改めて確認すると、もう一度思い返してみると」のような語調が感じられました。例えば、Aさんが今度公開される映画ついてBさんに話してその最後に「こういう映画が来るんだけど、行くの?」と言ったら、ちょっと唐突でしょう。Bさんは初めて聞いたわけだから、色々考えてみる暇がないでしょう。でも、その話をAさんから聞いたBさんが「へー、そんな面白い映画が来るんだ。
行くの?」と言うのはOKでしょう。Aさんには色々考える暇があるからです。英語を身につけるために留学しようか迷っていると初めて相談を受けたときは、「ほんとに英語を身につけたいなら、やっぱり留学でしょう」がよいが、その後ずーっと悩んで相談が繰り返され、これが最後の相談だ、というときは「ほんとに英語を身につけたいんなら、やっぱり留学でしょう」がピッタリではないでしょうか。ほんの表面をなでただけでしたが、何か参考になりましたら。
 

Thanks, Soba

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 7月21日(火)19時16分45秒
   英語のIf節なら、「条件」か「仮定」かで採る時制が異なるので見分けやすいのですが、こうして母国語をあらためて見つめてみると、いつかSobaさんが言っていた意味が実感されます。無意識で築いた膨大な母国語情報を整理することはかなりキツイ作業ですね。もちろん楽しみですが、同時に苦しみでもあります。

 「れば」と「たら」の間にはかなり明白な差がありますね。「病気が治れば、海外旅行に行こう」というのは確かにおかしいですね。「病気が治れば、海外旅行にいくことだってできるよ。」ならOKですから、この場合、「提案」が続くのは不自然で、可能性の事例の列挙(Sobaさんのいう「論理的吟味」)が自然ですね。「たら」ならば、「提案」が来るのは自然ですね。ところで、「たら」についてのSobaさんの説明表現がいいですね。「前件の実現した時点に視点をさっと移動して、そこからどうなるかどうしようか、という気持」(「視点をさっと移動する」という表現が圧巻で、気に入りました。)

 1)今日出来なければ --- 明日やればいい。
 2)今日出来ないならば  --- 明日やればいい。
   =今日出来ないなら  --- 明日やればいい。
 3)今日出来なかったならば --- 明日やればいい。
  =今日出来なかった[な]ら --- 明日やればいい。
 後件の「明日やればいい。」は「陳述」にもとれるし「提案」にもとれるからこれらはすべて違いが感じられないような気がします。

 さらにさっき頭を過ったのですが、「今日出来なかったなら」に「の」を入れて「今日出来なかったのなら」とするとまた、すこし前件のニュアンスが変わってきますね。「伝聞」性が付与されるような感じだと思うのですが、どうでしょう? --- tommy
 

「たら・れば・なら」について

 投稿者:soba95  投稿日:2009年 7月21日(火)00時50分8秒
  tommyさんの今回の質問は難しいです。全体像は分からないので、ヒントにでもなればと思います。まず、数が多いので、「れば」「なら」「たら」に絞ります。「たら」には「た」が入っています。これは完了の「た」ではないかと推測します。そのために「帰ったら、誰もいなかった(過去の出来事の継起(ただし後ろに意志的行為は来ない))」「切ったら、水につける(手順)」「見たらいけない」などの、「れば」「なら」にはない用法が生じます。「なら」には、いつもというわけではないが、「れば」「たら」にはない、「そのことの完了・実現を見越して」みたいな意味合いが生じるときがあります。「病気が治るなら、断食だってする」「窓を閉めるなら、エアコンを入れてくれ」など。「たら」「れば」(とくに「たら」)は、前件が完了・実現したあとどうするかどうなるか、を問題にしますが、
「なら」には「前件の実現を目指して、前件の実現に備えて」のような意味が生じる場合があって、独特です。「れば」と「たら」の比較は微妙で、以下インチキ説も入るかもしれませんが、「たら」には、前件の実現までのプロセスとか重みが感じられません。とにかく前件の実現した時点に視点をさっと移動して、そこからどうなるかどうしようか、という気持です。とくに、前件の実現の上に立って積極的に何かをしようという表現は、「れば」にはできにくいようです。「病気が治ったら、海外旅行に行こう」vs「?病気が治れば、海外旅行に行こう」「子供が生まれたら、もっと広い部屋に移ろう」vs「?子供が生まれれば、もっと広い部屋に移ろう」など。「れば」の場合は、「子供が生まれれば、もっと広い部屋が必要になる」など、前件が原因理由となって、どういう結果が論理的にありうるかを吟味しているような語調が感じられます。「れば」は、前件と後件を因果関係・論理関係でがっちりしばっているような感じ。「たら」は、前件の実現をあっさり前提にしてそこから好きな方向へも飛躍できる感じ。というようなことを考えてみましたが、tommyさんの例では、確かにあまり違いが感じられません。否定文ということもあるのでしょうか。難しいですね。取りあえず、違いの出やすい例で教えておいたらいかがでしょうか。
 

あれば、ければ、ならば

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 7月19日(日)20時57分23秒
  今日の日本語ヘルプで戸惑ってしまった語句は次のものです。違いを説明できませんでした。 後続の文章に「明日やればいい。」をとるものとして、次の3つが考えられますが、違いがあるでしょうか?

1)今日出来なければ --- 明日やればいい。
2)今日出来ないならば  --- 明日やればいい。
   =今日出来ないなら  --- 明日やればいい。
3)今日出来なかったならば --- 明日やればいい。
 =今日出来なかった[な]ら --- 明日やればいい。

どれも自然に後続文に接続すると思われますが、ニュアンスの違いがあるでしょうか?
 

Sobaさん有難う、ZENさん正解です。

 投稿者:tommy  投稿日:2009年 7月10日(金)23時59分10秒
   Sobaさん、いつもよく考え抜かれたレスを有難うございます。外国人に日本語ヘルプをする上で大変参考になると同時に、自分自身、そういう議論を深めていくことに楽しさを感じています。
 ZENさん、ぴったりの正解です。英語のヒントも付けてしまったのは、ヒントの出しすぎだったかな。
 私はこの秋田弁が大変好きです。口をあまり開けずに発音します。ワハのところは「吾は」の意味ですが、WAではなく、HAで発音します。(正確に言うと昔は両唇音のFAだったと思いますが)秋田は日本海を通じて、京の文化や言語が直接入り、今もそれが保存されているのだろうと思います。tommy
 

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